英語教育の意味とは? 発音にこだわりすぎる日本人

少し前のことだが、後輩がtweetしていたのを見たのだが、どうやら最近日本は小学生向けの英語教育に力を入れているらしい。事実確認はしっかりしてないが、脱・ゆとり教育の一環でやっていたということは聞いている。この英語教育で目指すところは何か詳しく知らないが、国際社会で活躍できる国民を育成するためなのではないかと仮定する。

そこで一つ思ったことがある。

日本人の英語の出来る出来ないは専ら発音の良さで判断される。英語の発音が良ければ英語が出来る、という肩書きをもらえる。これは言われる分には良いのだが、英語を勉強している人が目指すべき対象として問題である。

英語を使う上で大事なのは発音云々よりも英語を使う上での心構えであると僕は思う。

不思議なのは僕がいたアメリカのノースカロライナ州ではどんだけ発音が変でもそれについて「発音が悪い」という言い方をされることはまずないのである。どちらかというと「自分の考えがない」「主張がない」など意見に対することを言われることが多い傾向にあった覚えがある。まあなんせ10年以上前の話なので違うかもしれないが、小学校の教育、という点においては僕がアメリカにいたのは小学生だったので参考にはなると思う。

小学生の英語の教育は、少しでも違う言語に触れる、という点においては意味があるかもしれない。ただ、その英語教育が英語の心を小学生に教えることが出来ない限り、その英語教育は完全に無意味である。文法、フレーズ、単語、言い回し、それらを覚えて英語を覚えられると思ったら大間違いだ。日本がそのような英語教育しかしてなかった結果、これだけ英語が出来ないという印象を世界に植え付けてしまうのも納得できるだろう。英語をがんばりたい人は結局自分で努力しないといけないのだ。

そしてこれは恐らくこの先しばらく改善されることはないだろう。

なぜか。

それは「受験」だ。

受験英語はまさに単語や文法を覚えてばかり。受験英語の得点と国が目指す英語力は結びつかない。なのにも関わらず、残念なことにたいていの日本学生はその英語を使った勉強を強制されている。上位校を目指して受験する学生は尚更である。

果たしてこれでいいのだろうか。何のための英語教育なんだろう。

国際社会でどうのこうの言うなら受験に英会話とかを取り入れたらいいのではないか。今はセンター試験でリスニングがある。だが、元々日本人は発言力がないと言われている。ヒアリングばっかり鍛えても結局根本的な解決にはならない。よく考えてみたら国際的な会議にでたら恐らく一般的には通訳がいるからそもそもリスニング力は不要なのではないか。

大分ずれてきた。最初の話に戻ろう。

結論として、小学生の英語教育の強化に僕は反対である。中高生が嫌々やっている英語を小学生から学ばせたらどんどん英語が嫌いになっていくだろう。まさに本末転倒である。もし英語の心や言語そのものの楽しさを学べるような授業が開講されるならまだしも、従来のような単語や文法に縛られた授業をやるなら是非ともやめてもらいたい。

ま、どんなことしてもN○Kあたりが、こんなに小学生楽しんでます、っていう放送するんだろうけとね。やれやれ。

もっと読む教育まとめ