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実感の沸かない、突然の別れ -父親と最期の別れまでの7日間-

1日目

Dad meats my first daughter 1 01
父が初めて僕の長女と会ったとき

「父親と最期の別れまでの7日間」シリーズは、僕の父親が突然亡くなった日から葬式当日までの7日間を記録したもの。いわゆる日記のような内容で、僕自身の記録として残させてもらいたい。

家族との別れは一瞬。予知できる場合もあるが、突然来ると後悔が残る。このシリーズを読んで家族のことを想い、実家に顔を出したり、食事をしたり、家族と時間を過ごすきっかけになったら幸いです。

21時53分。僕は妻の母親からの電話で起きた。

僕はiPhoneを睡眠モードにし、すべての通知を切っている。電話も気付かないような状態にしていたため、母親からの電話に気付けなかった。

僕の母親が妻の母親に電話し、妻の母親が妻に電話し、僕がその話し声で飛び起きた、という流れだ。

父親が倒れた。今すぐ病院に来てくれ、という内容だった。

「父さんは大丈夫?!?!」と打った僕に対し、弟は「大丈夫じゃないね」と即レス。状況が緊迫していることを感じ取り、すぐに支度をして病院へ向かった。

この時点では父親が倒れて病院に運ばれたとしか知らされていなかった。病院で治療を受けているのだろうと思い、とりあえず必要なモノをいつものバックパックにまとめて、車で向かった。

僕はいつも20時過ぎには寝ており、3時前後に起床する。この日は21時前に寝ていたため、わずか1時間半で飛び起きて向かっていた。完全に睡眠が足りていなかったが、父親が重体のようだ。とりあえずガムを噛みながら目を覚まし、現地へと向かった。

入館手続きを済ませ、待合室にいた母親のところに向かった。

「お待たせ〜」

なるべく明るく振る舞おうと思ったが、母親は疲弊しきっていた。

父親の心肺は、自宅から運ばれた時点で停止していたという。蘇生を試みたが、これ以上は効果がないと判断したため、僕が病院に着いた時点では心肺停止状態だった。

僕はようやく状況を把握した。そして気持ちの整理が全く追いついていなかった。心肺停止って……そういうこと……?

遠方に暮らす弟が到着してから、正式に言い渡された。

23時27分、僕の父親は他界した。68歳。あまりにも突然だった。

死亡時刻の決定後、全く実感が沸かないまま別室に連れて行かれ、1時間半ほど警察の取り調べを受けた。病院で亡くなっていたらそういうことはないらしい。冷蔵庫のような寒さの部屋にいるとさすがに身体も冷える。警察は2人体制で、2人とも手書きメモだったのが興味深かった。

冷蔵庫空間での取り調べを終え、死因の原因特定をするために移動する前に面会する時間が与えられた。この時点でも全く実感が沸いていない。なんでいつまでも寝てるんだ?とすら思っていた記憶がある。

面会を終え、各々の車で実家に戻ってからさらに家宅捜索が行われた。これも家庭内で亡くなったため必要な手続きだという。倒れた場所の確認や身元を証明するアイテムの確認などに1時間弱を要し、警察は帰っていった。

僕らはすぐに葬儀屋選びに着手した。時期が時期だったため、葬儀屋やお坊さんが空いておらず、いくつかの候補に電話した上で決定した。

帰宅したのは5時20分頃。久しぶりの徹夜が父の死とは想定外だった。そしてまだ実感が沸かない。

親・身内が亡くなった後の届出・手続きのすべて (きずな出版)
価格:1,170円(掲載時)
著者:加納 敏彦(著)
出版社:PHP研究所

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更新日2024年08月25日
執筆者g.O.R.i
コメント(6件)

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  1. 用心棒(コメントID:704533)

    ご冥福をお祈りします。

    まいにち誰かしら亡くなってはいるわけですが、先日くまだまさしさんもお母様の訃報をpostしておられて、自分のウォッチしてる方になんか不幸が続いてる印象でお悔やみ申し上げます以上に適当な励ましの言葉も見当たりません。

  2. 通りすがりの読者(コメントID:704532)

    私の父が亡くなった時は、ただ悲しんだふりするだけで何も手伝いもしない、この期に及んで世間体や見栄を重視しようとする家族を脇目に、喪主やったり保険金請求したり所有権移転登記申請したりしてえらい心が荒んだのを覚えています。4〜5日も自宅に遺体を安置していたのに自分から顔を見たのは3回だけだった。涙がちょろっと出たのは一人で法務局に車回してる時だけだった。何も関係のない祖母の弟が出張ってきて所有権移転先にケチつけてきたり(祖母に一旦回したらまた相続発生時に登録免許税かかるだろボケ)母が祖母の面倒を見るべきだとか首突っ込んできたときは、家燃やして死んでやろうかと思った。
    ゴリさんの不幸にかこつけて愚痴を書き散らしてすみません。ゴリさんや周りのご家族は私たちとは全く違うと思いますが、もし心がお疲れならご自身を第一にお考えください。奥さんに一言言って一人で徹夜カラオケ熱唱してきても全然いいと思います。とにかくご自愛ください。

  3. しょうちゃん!!(コメントID:704531)

    お父様の急死心よりお悔やみ申し上げます。ぁちしも、数年前に父が旅立ち93歳でしたが、至って元気でぁちしが夕方仕事から帰ってきてそれを待ってからみたいに突然夕食のテーブルで動かなくなりそのままでした。
    それからはいろんな事をやりアニメとかにも連絡して連携して今後行うとしました。ぁちしも悲しいですが、とにかく諸々の手続きどうしょう?がありましたね。
    それと、警察官は最近いわゆる「家庭内トラブル」もあるので自宅でも状況を調べて事件性あるかどうかを判断するそうです。まぁ、大抵が形式的ですが、警察署に行って事件性なしと判断されたのち、警察署に常駐(これびっくりしました)している葬儀会社を紹介して貰いそこに決めてそれからその会社の担当者さんの指示通り動きました。なんにも判らないので。
    多分これからお父様のいろんなものをお母様名義等に変更したりとかが、かなり大変です。特に郵便貯金等ある場合は、ご兄弟全員の署名捺印が必要だったりします。
    あと、お家近くに「司法書士」の方がいればその方に諸々の手続きをお願いするというのも出来ますので、「司法書士」の、方を探すとかなり助かります。判らないとこらは葬儀会社の方とかにどんどん聴いていいと思います。因みに、諸々の手続きの期限は、死後3ヶ月とかやや、長いのであたふたせずひとつづつ行いましよう。
    猛暑も一段落ですが、御自愛くださいませ。
    んじゃ!!

  4. たってぃん(コメントID:704529)

    御尊父様、逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。

    私の父も昨年なくなりましたが81歳でしたし、入院してから4ヶ月の猶予もあったので別れの言葉なども伝えることができました。

    一方、ゴリさんは、突然すぎるのでただただ心中をお察しします。ファーファさんの仰る通り、今はいろいろとやることに追われると思いますが、無理のないようご自愛ください。

  5. 一期一会(コメントID:704528)

    以前、行政が開催する起業セミナーでお父様のご講演をお聞きしました。
    落ち着いた感じでありながら、堅苦しくなく、親近感の湧くお話し上手なお父様で、とても勉強になりました。

    講演後の談笑中にgori.meさんのWebページの紹介をされ、息子さんが手掛けているというお話を笑顔で話されていました。
    当方が親子関係があることを知らずに、「以前から見ています!体験記系が面白いですよね!」と話すと、驚きと喜びの表情で、とても嬉しそうに接してくださいました。
    きっとご自慢の息子さんだったんだと思われます。ご冥福をお祈り申し上げます。

  6. ファーファ(コメントID:704526)

    Please accept my deepest condolences.今は悲しむ暇もなく、準備準備で大変な時だと思います。体調には十分お気をつけて。
    ぼくの祖父が亡くなって、通夜葬儀が嵐のように過ぎ去り、落ち着いてふと思ったのが「祖父が私に何を言ってたのか」でした。記憶は年月と共にやはり忘れていきます。だからこそ、気持ちが落ち着いた後、映像、画像、言葉をデジタルメディアでアーカイヴしてください。そしてそれをお子さんへ伝えてください。祖父が亡くなって14年、今そう感じています。

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