父さん、さようなら。ありがとう -父親と最期の別れまでの7日間-
葬式当日、そして最期の別れ
家族との別れは一瞬。予知できる場合もあるが、突然来ると後悔が残る。このシリーズを読んで家族のことを想い、実家に顔を出したり、食事をしたり、家族と時間を過ごすきっかけになったら幸いです。
最終日の朝は、Googleの発表イベントがありバタバタしていた。2時には起きて仕事をするつもりだったが、どうやら心労も溜まっていたようで全く起きられなかった。仕方ない。
僕は父親への手紙を書いた。棺の中にいれて、天国で読んでもらいたいと思う。僕だけではなく、娘達も、妻も手紙を書いた。それぞれの内容は把握していないが、父親もきっと喜ぶだろう。
シリーズの最終回ということで、少しだけ父親の話をさせてもらいたい。
父親は尋常ではない読書家だ。とにかく本を読んで、読んで、読みまくる。僕もそれなりの影響を受けており、小さいころはよく本を読んでいた。誕生日プレゼントなどには図書カードをもらっており、その”伝統”は僕も引き継いでいる。
何もかもオンラインやデジタルで済む今の時代だからこそ、紙の本を大事にしてほしいという思いから、我が家でも大量の本を備えている。父親の本まみれの空間にインスパイアされたと言っても過言ではない。
同時に凄まじい努力家で、趣味が勉強という特殊な人間だ。長年勤めていた会社を退職してからは中小企業診断士になり、起業し、何かの大学院に行き、電気工事士の資格を取り、何でも屋の資格の勉強をしてたんだとか。何を目指しているのかさっぱり分からなかったが、とにかく勉強が大好きだった。
記憶が正しければ、父親は数学と物理の教員免許を持っていた。高校生になっても、受験勉強で分からない問題に対して解説してもらうことがあった。「今お時間よろしいですか」「はい」から始まる会話だが、「忙しいから後でにしてくれ」と言われた記憶はほとんどない。昭和の人間なので、家庭での振る舞いは”イクメン”ではなかったが、父親という存在がいたからこそ勉強を自然と頑張れた。
ちなみに父親は超有名国立大学を卒業している。父親は頭がいいのに息子は馬鹿だねと言われるのを恐れていた時期もあった。少なくとも父親の顔に泥を塗るようなことはなかったと思う。
父親はとにかく優しいが、優しいからこそ怒ると本当に怖い。それでも僕が何か問題を起こした時は、冷静に向き合ってくれる父親だった。何か学校で問題を起こした時は、罪を償うための罰を自分で考えて決め、父親に報告し、実行するという流れだった。今でもなかなか良い取り組みだと思っているので、将来的に機会があれば、自分の子ども達にやってみようと思う。
父親は、僕がゴリミーで独立するときに背中を押してくれた。父親がいなかったら、僕は今頃ゴリミーで生活できなかったはず。そして今の状況について散々愚痴を聞いてもらったので、天国からGoogleのアルゴリズムを決める人達が毎日出勤する度に鳩の糞を浴びるように仕向けてくれているはず。
父親は僕の人生においては欠かせない人だ。
葬式に話を戻そう。今日で生身の父親を見られるのが最後かあ。そう思うと、なんだか途端に寂しくなった。しかし泣いたらダメだ、母親が泣かずに持ち堪えているというのに、僕が泣いたら意味不明だと思い、下唇を全力で噛んで耐えた。
妻の父親に声を掛けられたときも、涙腺決壊の寸前だった。昭和臭い考えなのかもしれないが、やはり年上の人の前では「男はしっかりしなければならない」という考えがあると思い、娘をいただいた身としてはいかなる状況においてもブレない強さが必要だと感じていたからだ。
妻のお父さんはとても優しい人だ。個人事業主でもあり、僕の働き方に理解を示してくれており、応援もしてくれている。信頼もしてくれている。そして今となっては唯一僕自身が「お父さん」と呼べる人となってしまった。どうしても直視できなかった。
葬式は滞りなく行われたが、お坊さんに「言わないでほしい」と言ったことを言われたり、父親の会社名を間違って言われたり、「父親に相応しい旅立ち」にこだわっていた僕としては、涙どころではなかった。葬式を終えた直後、僕は冷静かつ淡々とした口調で間違いを指摘しにいった。暴力を振るわなかっただけでも褒めてほしい。
いずれについても事前確認した上でのミスなので、絶対に許さん。お布施返せ、と言いたくなるところをぐっと堪え、一時でも罪を償うために地獄に行くように念じておいた。もちろん、間を取り持っていた会社にも強めのクレームを入れた。四十九日については決めてないが、奴は絶対に呼ばん。
感情がジェットコースターのようだ。出棺に向けて父の周りに花を添えているときも、下唇を破壊するほど噛んでいなければ涙を堪えられなかった。いよいよお別れだ。胸が張り裂けそうな寂しさとはこういうものを言うのだろう。
顔を見る度に、今にも起き上がりそうな気がしてしまう。やはり棺が少し窮屈そうだった。書いた手紙を枕元に添えて、花で棺を埋め尽くした。父親が大好きだったお酒も、しっかりと紙コップに入れておいた。しかも1杯ではなく2杯。直近で困ることはないだろうな。
お別れ前の挨拶は母親が務めた。詳細は割愛するが、とても良いスピーチだった。さすがスピーチコンテストで入賞経験があるだけのことはある。
その後、火葬場に移動。本当に最期のお別れだ。
奥に吸い込まれていく父親を静かに見守る。真剣に眺めていたら、父親が笑顔で「じゃあねぇ〜」と言いながら、いつもの陽気な笑顔でくるくるしながら飛んでいく姿が見えた気がする。「まさかねぇ」と思いつつ、これまで多くの人を見送ってきたが、初めての経験に父親という存在の特別さを改めて実感した。
火葬は約1時間ほどで終了。迎えに行くと、立派な骨が残っていた。あれだけ若ければ骨がしっかりしていて当然だ。骨を詰める担当職員が丁寧な作業をしてくれたので、とても良かった。
母親のスピーチによると、生前、父親に「死ぬとき、残されたみんなになんて声を掛ける?」と聞いたところ「シー・ユー・アゲイン」と答えたそう。昔からダジャレ好きの父親なので、「See」と「死」をかけていたのだと想像する。
でも確かにまたいつか会える気がする。葬式を終えてさすがに実感は沸いてきたが、実家に戻ればまた会える気がしてしまう。それはそれで、良いことなのかもしれない。
父親は常に僕と弟だけではなく、僕の妻や子ども達を気に掛けてくれていた。それぞれの誕生日には真っ先にメッセージを送ってくれていた。まめで、丁寧で、何よりも努力家の父親だった。
父さん、ありがとう。父さんが生きられなかった分、僕が精一杯生きるよ。元気でね。
10年近くも、ありがとうございます。
なんと結構しんどいですね。僕も結構今メンタルやばいのですが、少しでもお力になれるようでしたら、いつでもこちらのコメント欄にご連絡ください。やっぱり現実を受け止める準備しておけるかおけないかって、結構違うと思いますので。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
お読みいただき、ありがとうございました。家族一団となって乗り越えていきたいと思います。
ありがとうございます。最近、結構しんどくなってきました。頑張って乗り越えます。
もう10年近く前から同世代読者です。
我が家も父が急に倒れもう1カ月もないって通告をされて途方に暮れた中での一連の投稿を拝読しました。
そんな日は来てほしくないですが来月のいざってときのために色々参考にします。ありがとうございます。
7日間に渡ってお父様がどれだけ素晴らしい方というのがヒシヒシ伝わり、感銘を受けました。
改めてご冥福をお祈りいたします。お疲れ様でした。
ごりさん、素敵なお話ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。しっかりお休みくださいね。
ごりさんもお父様もお疲れ様でした。
7日間の記事をすべて読んでどれだけ素敵なお父様なのか、ごりさんがどれだけ尊敬しているのかが伝わって来るようでした。
今の気持ちを受け止めつつ、ごりさんとご家族に幸せな日常が戻りますよう。
本当に素敵なお父様だと思います。お父様のご冥福をお祈りします。
g.O.R.iさんにもお仕事があるので無理はされると思いますが、無理しすぎないと良いと思います。