iPadアプリで「言いたいこと」が言える世界へ——埼玉の特別支援学校で見た、テクノロジーが生む希望
発語が困難な子どもたちが「DropTap」で自分の声を手に入れた。Apple幹部も感動した現場を取材
初めて訪れた特別支援学校は、想像していた空気感とは違った。どんな雰囲気なんだろうとドキドキしながら足を踏み入れたが、そこにあったのはいわゆる公立学校と何ら変わらない日常だった。僕の通っていた中学校と何ら変わりない、むしろそれよりも綺麗で整っているような印象すらある。明確な違いがあるとすれば、登校時や下校時に通学用のバスや親御さんの送り迎えをするための車の出入りが多いことぐらいだろうか。
埼玉県立本庄特別支援学校を訪れたのは、iPadを活用したコミュニケーション支援の現場を取材するためだ。発語が困難な子どもたちが、アプリを通じて自分の思いを表現し、周囲とつながる姿を目の当たりにして、テクノロジーが世の中を良くしている絶好の例を見せつけられた。
埼玉県北部にある知的障害特別支援学校
本庄特別支援学校は、埼玉県で最も北部にある知的障害特別支援学校だ。児童生徒191名が在籍し、そのうち高等部が91名と半数を占めている。在籍する子どもたちの主たる障害は自閉症が最も多く44.5%を占め、コミュニケーションの困難さや予定の見通しが持ちづらいといった特性がある。
内田考洋教頭は「笑顔あふれる楽しい学校」「子供たちの『価値』を発信する学校」を目指していると話す。従来の絵カードや写真カードから、タブレットアプリへの移行も進められており、視覚的な支援を通じて子どもたちの学びと生活をサポートしている。
地域との連携にも力を入れており、埼玉県で初めてコミュニティスクールに取り組んだ学校でもある。近隣の和菓子店との商品共同開発、栽培した食材を地域のレストランや子ども食堂に提供する取り組み、NEXCOと連携した高速道路の課題整備を行う「高福連携」など、地域と共にある学校作りを進めている。
110万本が使われる「DropTap」というアプリ
取材で目の当たりにしたのは、NPO法人ドロップレット・プロジェクト代表で教員でもある青木高光先生が開発した「DropTap」というアプリが、子どもたちの生活に欠かせない存在になっていることだ。青木先生は大学時代から35年間、障害のある子のコミュニケーションを伸ばす支援技術の研究を続けている。
DropTapは、AAC(Augmentative & Alternative Communication = 拡大代替コミュニケーション)の考え方に基づいて開発された。AACとは、障害のある子どもたちの生活を「訓練から体験へ」とパラダイムシフトさせる考え方だ。話し言葉以外の手段(絵カードやアプリ)を提供することで、「りんご美味しいね」といった経験を重視する。
DropTapは2021年の発売と同時に教育部門で1位を獲得し、2022年2月からGIGAスクール端末(文部科学省が推進する、全国の小中学校等に1人1台の端末と高速通信ネットワークを整備する取り組みで配布された端末)に無償提供されている。2025年11月現在、シリーズを合わせると110万本が提供されており、日本で最も広まっている教育アプリの一つだという。コミュニケーションシンボルライブラリ「Drops」は現在2500個が公開されている。
生徒1人ひとりに合わせてカスタマイズされる学びの環境
本庄特別支援学校では、学校のGIGA端末へのアプリインストールについて、授業で一斉に活用するためや、多くの児童生徒の支援ツールとして活用できると判断したものを全体的に入れている。加えて、義務教育分については1人1台端末が整備されているため、担任や保護者からの要望により、1人ひとりの学習に合わせてアプリケーションが追加され、カスタマイズされている。
同じクラスでもAさんとBさんのiPadに異なる内容が入っている場合があり、その端末は学年が上がっても引き続き使用される。児童生徒の個人端末については、保護者の判断でインストールし、担任と相談の上で学習に活用しているという。
「ハート祭りでダンスした」——小4女児が伝えたかったこと
取材では、小学部4年生の生徒がiPadのアプリを使って、家族と寿司やケーキを食べたこと、特にハート祭りでダンスをし、パパとママが拍手してくれたことを伝える様子を見学した。彼女は取材後、文化祭の活動として、去年の担任の先生のクラスに話しに行く活動を予定しているそうで、ワクワクしている様子が伝わってきた。
また、高等部1年生の生徒は聴覚過敏の特性が強く、私たちには聞こえない微細な音が聞こえている可能性があるため、イヤーマフを使用しながら学習している。彼女は自閉症スペクトラム障害の特性で暗記がとても得意なので、先生は課題の中身を毎回変えて対応しているという。
中学部3年生の生徒は、PECSTalkを通じて日直として活動。「きりつ」「れい」などの言葉を選択することで、しっかりと役目を全うしていた。
このように、生徒によって使用するアプリが異なるのは、それぞれの特性や学習ニーズに合わせた個別最適な支援が行われているためだ。DropTapやPECSTalkなど、それぞれの子どもに最適なツールを選択することで、コミュニケーションの可能性が大きく広がっている。
アプリの公式サイトを見てもイマイチどのように使っているかピンとこなかったのだが、実際に現場で生徒らが活用……いや愛用している様子を見ると、これらのアプリは彼らにとって欠かせない存在であり、学びを得るためのツールだけではなく、自分自身が伝えたいことを伝えるための手段、自分の「声」となる極めて重要なツールであることを目の当たりにして、心底感動した。
Apple幹部が語る「可能性を広げる」という考え方
取材には、AppleでGlobal Accessibility Policy & Initiativesのシニアディレクターを務めるSarah Herrlinger氏も同行した。彼女は22年前にAppleに入社し、教育分野、特に障害を持つ子どもたちの支援を通じてアクセシビリティに関わってきた人物だ。
Herrlinger氏は「Appleのアクセシビリティの考え方は、全ての人にツールを提供し、その人が持っている可能性を拡大することにあります」と語る。iPadのカスタマイズ可能性と、個々のニーズに合わせて使える点に感銘を受けたと話し、「先生方が、子どもが愛され、受容されていると感じられるような環境を作り出している点も印象的でした」と述べた。
今回が初めての日本訪問だったHerrlinger氏は、「日本は非常に素晴らしい国で、とても気に入っております」と笑顔で語った。日本の学校訪問も今回が初めてだという。
青木先生が35年間追い求めてきた「本物の言葉」
青木先生は「本物の言葉」について、大学時代の恩師の言葉を紹介してくれた。「先生の悪口を言うようになったら、それが本当の道具になる」——お礼などの良い言葉だけでなく、「先生嫌い」や「タバコ吸いたい、お酒飲みたい」といった正直な言葉を子どもたちが言えたら、それが本物だという教えだ。
実際に学校現場で実感したのは、周りの反応の重要性だという。新しい言葉や面白い視点を発信した時に周りが笑ってくれるなど、友達や先生の反応があることで、どんどん喋りたくなり、iPadで文章を打ちたくなるようになり、活動意欲が育つと青木先生は考えている。
GIGA端末導入によりiPadなどが常に学習の中で使える状態になったことで、大きな変化があったと話す。かつて「遊びになってしまう」と危惧されていた学校でも、子どもたちはその領域を一歩踏み出し、学習で自分たちで制御しながら使うようになった。
「ノンスピーキング」と「ノンバーバル」は全く違う
取材中の会話で印象的だったのは、「ノンスピーキング」と「ノンバーバル」の違いについての話題だった。ノンスピーキングは物理的に発話することができない状態を指し、ノンバーバル(非言語的コミュニケーション)とは区別されるという。
最も重要なのは、子どもたちが「どういう風に表現したらいいかというツールを見つけること」だと強調された。物理的に発話できないか、非言語的な意思疎通に困難があるかに関わらず、障害を持つ子どもたちが自己を表現し、周囲と関わるための適切なツールを見つけることが、支援の中心的な課題であると認識されている。
自分のデバイスがあることで、障害があり外に出かけることが制限される中でも、SNSなどを活用して外との繋がりを持ち、自分のものを発信することにもつながる、と青木先生は将来の可能性を語った。
テクノロジーが生む希望を見た
オリジナルイラストを含めて学校の先生方と協力して開発された青木先生の情熱には感動した。先生を筆頭としたアプリ開発に携わったメンバーが集まってDropTapを開発したからこそ、コミュニケーションの幅を大きく広げることができたのだ。
特にドロップトーンは、本格的な演奏を楽しむために、日本を代表する楽器メーカーであるコルグ社と正式なライセンス契約を結んで、素晴らしい楽器の音色が搭載されている。細部にまでこだわり抜いた姿勢が伝わってくる。
誤解のないように言うと、特別支援学校に日々勤め、生徒と向き合うことで苦労することも多々あるはずだ。その中でも本当に終始笑顔で、子どもたち1人ひとりに向き合い、突然の無茶振りにも快く受けて子どもを喜ばせる内田教頭の明るさには本当に感動した。生徒達も幸せに違いない。
内田教頭は、DropKitなどで作成した教材を使った学習そのものも、先生とのやり取りを含めてコミュニケーションの一部であると考えている。学習と生活、そしてコミュニケーションが一体となった環境がそこにはあった。
テクノロジーによって、世の中が良くなっている——この学校で見たのは、まさにその証明だった。
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