花王の”ガチすぎる”映像スタジオに潜入。年間8,000万円削減を実現、機材の主役は「Blackmagic Design」
ATEM Television StudioとDaVinci Resolveでコスト革命。ただし300万円のフジノンレンズは妥協しない徹底ぶり
「花王」と言えば洗剤やコスメのイメージが強いが、実は社内にとんでもない映像スタジオを構えている。先日取材に訪れてみると、そこに並んでいたのは放送局レベルの高額機材……ではなく、我々ガジェット好きもおなじみのBlackmagic Design製品の数々だった。
なぜ大企業が「Blackmagic」を選んだのか。どうやって年間8,000万円ものコスト削減を実現したのか。その秘密は、徹底した「コスパ追求」と「泥臭い工夫」にあった。
男心をくすぐる”Blackmagic一択”の機材選び
花王が映像制作の内製化にあたって中心に据えたのが、Blackmagic Design製品だ。理由はシンプルで「高性能なのに安いから」。
個人クリエイターも愛用するATEMシリーズの上位版であるATEM Television Studioが、大企業のスタジオの中枢を担っている事実には興奮を禁じ得ない。担当者の言葉を借りれば「プロ用機材の2、3割で買えちゃうぐらいのレベル」だそうだ。控えめに言って、コスパの暴力である。
いや、とはいえ高いんだけどね…
編集ソフトも徹底したコスト重視だ。Adobe Premiere Proのようなサブスクリプション型ではなく、DaVinci Resolve(買い切り)を全面採用している。Adobeは年間10万円近くかかる上に、パソコンごとにライセンスが必要になると「制作部隊を増やせなくなっちゃう」と担当者は語る。
DaVinci Resolveは買い切りで、しかもアップデートに一切お金を取らない。Blackmagic DesignのCEOはクリエイターに安く使ってもらいたいという思想を持っており、価格破壊を続けている。企業目線でもDaVinciは正義だった。
ただし、全てを安く済ませているわけではない。機材庫で異彩を放っていたのが、緑のラインが入ったFujinonの放送用B4レンズだ。遠くの登壇者を撮影するために導入されたこのレンズ、調べてみると新品で300万円〜450万円もする代物だった。
衝撃的なのは、スタジオにあるBlackmagicのカメラやスイッチャーを全部足しても、このレンズ1本の値段には届かないかもしれないということだ。「映像の美しさは、センサー(カメラ)よりもガラス(レンズ)で決まる」という映像業界の鉄則を、花王はしっかりと理解してお金をかけている。
このメリハリこそが、プロ顔負けの映像を生み出す秘密なのだろう。コスパを追求しつつ、譲れないポイントには惜しみなく投資する。ガジェット好きとしては、この判断に痺れる。
初年度で8,000万円削減。「外注」→「内製」がもたらした衝撃
かつて花王では1本500〜600万円かかっていた映像制作を外部に委託していた。この状況に社長が「知識が蓄積されない」と問題視し、「全部自分たちでやりなさい」と号令をかけたことが内製化の契機となった。
その結果は驚異的だ。機材投資を含めても、初年度(2021年)だけで約7,000万〜8,000万円のコスト削減を達成した。「金額的にはペイできてます。機材代なんて一瞬で回収できた」という言葉の説得力がすごい。
現在では社内向け動画コンテンツの約8割をこの内製部門が担当しているという。年間80件以上の案件を5人体制でこなし、時には2班に分かれて同時進行することもあるそうだ。
スピード革命も起きている。外注だと3カ月かかっていた案件が、内製なら最短1週間で公開できるようになった。「明日撮りたい」という急な要望にも応えられるのは、自社にスタジオと機材があるからこそだ。
ハイテクスタジオの裏側は、意外と「グルーガン」と「物理ボタン」
スタッフはテレビ局出身者だけでなく、兼務の社員もいる。初期メンバー5名のうち4名が元テレビ局やイベント会社出身で、担当者含めた現在の5名全員が兼務(社長室や作成部門など)で業務にあたっているという。
だからこそ「操作の分かりやすさ」が命だ。タッチパネルなどのデジタルミキサーではなく、あえて物理ボタンのアナログコントローラーを採用することで、とっさの操作ミスを防いでいる。
DIY精神も旺盛だ。ケーブルが抜けないようにグルーガンで物理固定する。デスクの配線穴は「白い布」で隠す。ハイテクスタジオに見えて、裏側は僕らのデスク周りの工夫と変わらない「泥臭さ」があって親近感が湧く。
ちなみにスタジオはガラス張りになっており、社内に「こういう場所がある」とアピールして利用者を増やす狙いもあるそうだ。デスクのサイズは幅180〜200cm程度で昇降式となっており、立ち作業や座り作業に対応できる。
ATEM Television StudioにはISO(全録)機能があり、プログラム映像だけでなく、入力している全てのカメラの映像を別個に記録できる。万が一スイッチャー操作を間違えても後で編集で対応できるメリットがあり、安心感が段違いだ。
映像以上に「沼」だった。担当者が語るオーディオへのこだわり
映像だけでなく、音響専用の部屋も完備されている。RMEなどのオーディオインターフェースが鎮座し、「ケーブルや電源で音が変わる」というオーディオ沼に、担当者もしっかりハマっていた。
屋外で利用する際のワイヤレスマイクは混線を避けるため、免許が必要な1.2GHz帯を使用している。他のイベントとの周波数バッティングを避ける調整が可能なプロ仕様だ。「映像がきれいでも、音が悪いと見てもらえない」。YouTuberや配信者なら誰もが頷く真理がそこにあった。
イベント設営から撤収まで、すべて自社で
機材庫には、ロケや外部イベントへの持ち出し用機材が保管されている。イベントの設営、リハーサル、本番、撤収に至るまですべて自社の5人体制で行っており、外部業者並みの活動範囲だ。
担当者はドローンの免許を取得しており、工場の撮影なども自社で行うことで、外注で数十万円かかる費用を削減している。「ロケ・ドローン」と聞くと大げさに聞こえるが、必要に応じて社内からの依頼に対応しているそうだ。
化粧品チームが最も使いこなしている理由
「製品のチームで、なんかこのチームはよく使ってるなとかうまいなとかってあるんですか?」と尋ねると、担当者は即答で「化粧品がうまいです」と答えた。
彼らはやはり自分たちでインスタも配信してるし、自分たちで編集もするので、それを撮ってその紹介動画だの編集するので、やっぱり上手だという。化粧品チームは各ブランドごとにPR担当が1〜2名ついており、企画から動画制作、配信まで一気通貫で行っているそうだ。
しかも自分たちが登壇してやってます。内製化後、開発に関わった社員自身が登壇することが増え、視聴者(顧客)のチャットでの質問にすぐ答えられるようになり、迅速なフィードバックとエンゲージメントの向上が実現している。
スタジオの運用は「教えて、あとは自由に」
スタッフの役割は、機材や空間の管理、および利用者のサポートが中心だ。企画自体は各部署が持ち込み、スタッフは撮影方法や機材の使い方を教えたり、1〜2回は付き添いながらサポートし、慣れたら自由にスタジオを使ってもらうというフレキシブルな運用だ。
「わざわざ私たちがこういう企画やりませんかとかっていうのは持ち込まないです」と担当者は語る。あくまでもサポート役に徹し、各部署の自主性を尊重する姿勢が印象的だった。
スタジオはフレキシブルに予約できる仕組みになっており、慣れた人は勝手にこの部屋を予約してやる、というスタイルだ。社内に動画編集スキルが求められる時代において、2023年12月からは社員が動画プレゼンテーションを作成できるようになるための2カ月間のブートキャンプ形式のゼミも開始される予定だという。
花王から学ぶ、内製化成功の鍵は「身の丈に合った機材選び」
花王の内製化成功の鍵は、「高価な機材を並べること」ではなく、「身の丈に合った(しかし高性能な)機材を選び、使いこなすこと」だった。Blackmagic製品は「本当にプロ用機材の2、3割で買えちゃうぐらいのレベル」で、NHKや佐賀放送などの放送局でもDaVinci Resolveへの移行が進んでいるという。
今回、案内していただいたDX戦略部門DX戦略デザインセンター所属の長瀬敬太さんは、同じように内製化を検討している企業に向けたアドバイスは明快だ。「まずはコンデジとATEM Mini/Mini Proから始めればいい」。大事なのはコンスタントに配信を続けること、そしてスタジオを同じ建物内に設置し、すぐに使える状態にしておくことだという。
この事例は、企業の話だけでなく、個人クリエイターにとっても「機材選びは間違っていなかった」と背中を押してくれる話だ。ガジェット好きとして、花王という会社が急に好きになった取材だった。
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