社内公用語を英語にする最大の欠点

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【img via englishsnow

社内の公用語を英語にしている会社は増えているらしい。僕の会社は今もこの先も絶対ありえないと思うが、今日某ECコマースの会社に新入社員として入った後輩の話を聞いていてふと思ったことがあったので、書いておく。

社内の公用語を英語にすることで得られるものは正直言って分からない。よく耳にするのは、強制的に英語を使わせることによって英語に対する意識を高めることなのだが、果たしてろくに使えもしない言語を公用語にすることによって全社的に英語に対する意識はあがるのだろうか。意識はあがるかもしれない。ただ、意識が上がったところで英語は話せない。当たり前だ。

海外事業に力を入れたいから英語を公用語にして世界との競争力を高める、という目的もあると聞いた。これは言い訳にしか聞こえない。世界で活躍するために言語が障壁になるわけがない。社内公用語を英語にさせている暇があったらその労力を世界レベルでも通用するサービスを考えた方が生産的だと思うのは僕だけだろうか。

本題に戻すと、社内公用語を英語にする最大の欠点、それは新入社員がまともなプレゼンを聞くことが出来ない、ということだ。少なくとも後輩の話を聞いて強くそう思った。

新卒にとって社会人とは今までは別の世界だと認識して入る。僕も入社した頃は耳にタコが出来るぐらい「社会人と学生は違うから気持ちを入れ替えろ」言われてきた。その「学生とは違う」社会人の大御所である役員のありがたい話は、会社の規模が大きければ大きいほど聞く機会も少なく、新卒に取っては間違いなく価値のある話になるはず。それは、組織を高いレベルで動かす立場にいるのは多少の才能と多大な努力があったはずだからだ。新卒に向けてのメッセージは今後のモチベーションや仕事のやり甲斐に直結することも多いだろう。

では、そのメッセージを、本人がまともに使えもしない英語を強制的に使わされているのはいかがなものだろうか。スピーカーが英語堪能であるならまだしも、英語を話せない人が片言のメッセージを送ったところで特に何も伝わらない。そもそも母国語でスピーチをしても伝わるか伝わらない人がいる中で、さらに自由に使えない英語で発信することに何の意味があるのだろうか。これで意識を高めるのか。意識を高める前にメッセージが伝わらないじゃないか。

「伝わる」という点で言えば伝える方の英語力もそうだが、聞く方の英語力も問題だ。公用語が英語とは言え、新卒が全員英語堪能であるわけがない。実際のところ、過半数がTOEIC650点に満たないらしい(TOEIC650点がどれぐらいのレベルだか分かっていないが)。話している本人も言いたい事が思うように言えず、聞いている側も当然何を言っているか分からない。

メッセージを伝えることと、英語に対する意識を高めることはどっちの方が大事なのだろうか。

発信側が言いたいことが言えない、受信側が何を言っていることが分からないという、まるでピッチャーとキャッチャーがお互い目隠しをした状態でキャッチボールをしようとしているようだ

何を始めるにしてもスタートは重要である。初対面の人に会う時も第一印象は大事であるように、新卒が最初の方で役員等などのプレゼンを聞いてどう心を動かすかは大事である。英語を公用語にする意味は、果たしてあるのだろうか。

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