「ボイパ」

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たまにはアカペラのことを書こうかな。言うてもplaygroundなわけで、幅広く思ったこを書いていきたい。

「ボイパ」を嫌う理由

僕のことをよく知っている人は知っているが、僕は心底「ボイパ」という表現が嫌いだ。かつては後輩に会うと、真っ先にその言葉を僕の前で発さないように注意していたぐらいだ。ちなみに、僕は「パーカス」という表現で落ち着いている。

では、なぜ僕がこんなにこの表現が嫌いなのか。自分なりに考えてみた結果、「ボイスパーカッションの価値を下げている」ということなのだと思う。

何を隠そう、僕のアカペラの取っ掛かりはもちろんハモネプだった。その当時はまだ第一回、第二回が開催されていたばかりで、チン☆パラが「It’s My Life」を演奏しているのを見て衝撃を受けたのが全てのはじまりだった。

だが、そこから時は経ち、大学のアカペラサークルに入ってからはストイックに練習していた。そんな日々を過ごすようになってからハモネプが何年かぶりに復活した。久しぶりに見たら、本当にアカペラを小馬鹿にしているような番組である印象を受けた。

中でもパーカスの位置づけというものが「ただ目立つためのパフォーマンス」でしかなかった。そこから僕は本当にこのメディアの作り出した「ボイパ」というイメージそのものを本気で嫌うようになった。真面目にパーカスをやっている身としては侮辱されているように感じるからだ。

パーカスとは

パーカスはあくまでもコーラスの一員であり、バンドの一員である。よって、どんなに派手な事をしたくてもあくまでもバンドが作り出そうとしているイメージに沿った形で演奏をしなければならない。それでこそアカペラのパーカッションだと思う。

パーカスは決して簡単ではない。目指している音色を出せるようになるもの一苦労であり、出来たとしても、単にバスドラ、スネア、シンバルを打てばいいわけではない。曲にあった音色やリズムに加え、アカペラならではの独特の音色も時によっては考える必要がある。

上記のようなパーカスの美学や哲学がまだまだあるのにも関わらず、「声でドラムの音を出す目立つパフォーマー」という意味合いを持つ、「ボイパ」という言葉片付けられるのは本当に心外である。

もちろん、実際にパーカスをやっていない人からしてみたらボイパと言おうがが、パーカスと言おうが変わらないだろう。ただ、パーカスをやっている人ならば誰しもがパーカスがそんなに浅いものではなく、色々な要素が詰まって出来ているものだと分かっているはずだ。パーカスは「ボイパ」のような薄っぺらいものではなく、さまざまな要素が詰まった演奏手法だということをご理解いただきたい。

以上、「ボイパ」を嫌う理由でした。近いうちに僕なりのパーカスの美学についてもっと詳しく書き下ろしてみたいな。書いてみると気づくこともいっぱいある。

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